2018年08月


おかげ様でお盆過ぎより、現場作業へ復帰しました。
汗を流す事のありがたさを改めて感じ、奮闘しています。135度の可動域をクリアした我が膝は日々のリハビリ筋トレのおかげで、45度の屋根勾配も問題なく登る事が出来る様になりました。右足全体の筋肉保持向上の為、まだまだアスリートとしてのトレーニングが欠かせませんが、年内の工事は緩やかな屋根勾配の現場が多いようなので胸をなで下ろしています。とてもとても暑い夏でしたが、もうすぐ秋がやってきます。

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沢山の皆様よりお見舞いを頂き、ありがとうございました。
ドクターの話では、2020年のオリンピックには間に合いそうです。



私の場合、素直に言うと単純に 火 が好きだから。家という日常生活空間に 火 があって欲しい。と願うから。炎がゆらめく空間の中、心地よい暖かさは、冬が長く厳しい豪雪地帯に生まれ育っている私にとって、とても安心でき力強くその暮らしを満足させ充実感を与えてくれる。生活の中で無くてはならない物の一つとなっている。焚火も好きだ。だが焚火は屋外でするものである。家の中で薪火が燃えるその様を見るには薪ストーブが手軽と言える。太い煙突が屋根を突き抜け煙を吐き呼吸するかのように見える家々は生物のようにも見え、そこで暮らす人々の営みをも見えてくる気がして面白い。


 
燃料となる薪は裏山へ行けば幾らでも杉の木がある。ど田舎の特権と言える。それを切り倒し割り乾燥させ薪として使用する。26年前に小さいながらも自宅を新築した時に薪ストーブを取付けた。50歳になった今、とても不思議な気持ちになる。毎年毎年その作業を淡々と飽きもせず熟してきたが、年々薪ストーブへの魅力が深くなる。薪小屋いっぱいに積み上げたその薪を見ては優越感に浸り、空っぽな薪小屋を見ては劣等感に浸り、チェンソーを持ち山へ行く。体を使い、頭を使い、道具を使い、全てを教えてくれる先生のようだ。様々な事を人と比べることなく自分の出来る可能性の範囲で一生懸命行う大切さをも習った。薪ストーブを使っていると沢山の事が分ってくる。何事も分かってくると面白い。

 
こんな事も分かった。的を得る学者達が述べる環境問題や森林保護や原油の高騰・エネルギー政策等々の問題意識の下で私は薪ストーブを焚いているのではない。その様な価値観の下で薪ストーブを焚いているのではない。とても小さな定義だが生き様にも繋がる楽しむ事をつづけるという事。面白いをつづけるという事。それは持続可能な程良いとされる。そして何時しかその行動は的を得ていると言われる学者達を超える域へ。



 

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